モラハラ3

おとといの金曜日は職場の飲み会でした。

ボクは「飲み会」というのがあまり好きではありません。

理由は、まず「お酒」が好きではないということ。そしてお金がかかるということ。

 

ただ、今の職場は人がとてもよく、人間関係のストレスがほぼない。さらに飲み会でもお酒を強要されない。という点から飲み会がそれほど苦ではないのです。

と言ってもそれほど乗り気でないことは変わりません。

 

始まりが遅かったせいもあり、終わったのは10時半。家に着いたのは11時でした。

もともと飲み会であることは伝えてあるし、それほど遅いという認識もなかったのだが、帰ると

「娘が塾で勉強しているっていうのに、こんな時間まで…(遊んでいるなんて)」

と言われた。こっちも

「行きたくて行ってるわけじゃないんだけど…」

と言ってみたが、反応はなし。

職場の飲み会すら十分に許されない。orz

 

まあ、奥さんからしてみれば一日中家のことをやっていて、自分の好きにできる時間はない。たまにはどこかに自由に出かけてみたいのではないだろうか。

 

そう思って声をかけても「別に…」と言われるだけだろう。

もはやボクが何をしても彼女の反応は変わらない。

もうすぐ奥さんの誕生日…。

毎年プレゼントをあげているが、ここ数年喜ばれたことはない。

今年ももちろんプレゼントをする予定だが、逆に怒られるのではないかと不安だ。

 

とにかくやることなすことすべて否定されるのはやっぱり辛い。

今朝も起きていたら

「あら起きてるの?」

と(不機嫌そうに)言われた。なぜわざわざそんなことを言う?

 

義母や子供たちとはあれだけ楽しそうに会話しているというのに…。

家にいても本当に気が休まらない。

今日も憂鬱な休日が始まる…

 

サブ4達成!

今日は休みだったので、朝からマラソンでした。

最初はいつもどおり「10km」くらいかなって感じで走り始めたところ、思ったより調子がよく、「ハーフいっちゃうかな」と調子に乗り始め、そのうち「フルいってみるか!」となり、気温的にも走るのに適していたのでフルマラソンをしてみました。

 

前回のフルマラソンでは「30kmの壁」の言葉どおり、30kmを過ぎた頃から足が痛くなり、残り10kmは走ると言うより「這う」ような感じでした。

とにかく「苦しい」という印象の初フルマラソンでした。

 

今回は調子が下がらず、「これはサブ4余裕か!?」なんて思っていたのだが、前回の反省を生かし、ペースを上げずに一定をキープしながら走りました。

 

目指すは「サブ4」!

 

その甲斐あってからペースの下落を最小限に抑え、42.195kmを3時間59分30秒というギリギリサブ4クリアできました。

 

最後のに2kmは前回にはなかった「お腹がキリキリ痛くなる」というトラブルにも見舞われたけれど、何とか達成できたのはとてもうれしかったです。

 

何事も「がんばれば報われる」そう信じたいですね。

 

とは言ってもなかなかそうはいきませんが…(;^_^A

ドキドキの毎日

ドキドキしながら玄関の扉を開ける…

毎日のことである。

あの一件以来、ボクは家に帰るのが本格的に「怖く」なっていた。

 

以前からもめることはあった。

だけど、「怖い」と思ったことはなかった。いや少なくともその気持ちが「持続」することはなかった。だけど今回は別のようだ。

 

帰るときにまず考えることは

「今日は何か怒られなければいいな」

ということ。不安材料をいくつか考える。でも思い当たらない。

そして玄関の扉を開け、ボクは「ただいま」と言う。

家族が一斉に「おかえり」と言ってくれるが、ボクが気にするのは奥さんの声のトーンだ。

そのトーンの変化を聞き間違えると、この後大変なことになる可能性がある。

 

普通なら御の字である。ボクに対する声で機嫌のよいときはないのだから…

声のトーンが明らかに「怒り」モードのときは要注意。

例えその原因がボク自身になくとも、「とばっちり」を受ける可能性が大だからだ。

 

部屋に入ってからも緊張は続く…。

いつ何を言われるか分からない。

もちろんボク自身が悪いときもある。それは仕方がない。

でも問題はボクから見て「理不尽」と感じることのときである。

これが結構多い。

女性は「気分屋」が多いとは昔から言われていることだが、それにしても「女心と何とやら…」という感じである。

 

とにかく家にいて気持ちが安らぐということはない。寝てしまうしかないのである。

 

それにしても「奥さんが怖い」というこの感覚はこれから先改善することはあるのだろうか。

今のところの感じでは「自然には回復しない」ということである。

と言って奥さんとの関係が改善することもかなり期待できない。

何と言ってもこの半年間ボクなりに改善方法を模索し、実践してきたつもりだから…。

 

そうそう、先日テレビでフッくん(しぶがき隊)が分かれた奥さん(土屋かおり)とのエピソードを語っていた。

奥さんが家を出た後、「ボクに悪いことがあったら直すよ」と言ったのだが返事は「あなたに直してもらうことはない」というものだった。つまり

 

もう何をしても私の気持ちを変えることはできない

 

ということだ。そのときボクは「ああ、これだ」と思いました。

今更何をしても奥さんの気持ちは変わらないのだ。そう確信したのである。

 

いつかきっとボクらは分かれるときが来るだろう。時間の問題である。

今はまだ何とか「子供がある程度大きくなるまで…」とがんばっている。

でもたぶんそこまで持たないだろう。それもそう長くない将来に…

 

とにかく毎日が怖くて仕方ないのである。本当に助けてほしい。

 

 

離婚

離婚について考える。

世の中の夫婦の1/3が離婚する今の時代…。

1度や2度離婚を考えることはどの家庭にもあるであろう。

ボクも結婚して16年以上になるが、数限りなく限界を感じることがあった。

 

もしもこれが結婚していなかったら…

もしもこれが子供がいない夫婦だったら…

もしも…

 

もしかしたらとっくに別々の道を歩んでいたかもしれない。

結婚というシステムは、

「簡単に別れさせないシステム」

として優秀なものなのかもしれない。

 

それでも先ほど言ったとおり、1/3が離婚をするのだから、そうでもないか。

 

ボクが離婚を考える理由は大きく2つ

1つはボク自身が今の現状を耐えられないからである。

① 家で孤立していること(同居していることを含む)

② 奥さんに冷たくされていること(セックスレス含む)

2つめはボクがいなくなった方がいいのではないかと思うからである。

① この家(奥さんに)は義父・義母・奥さん・娘・息子(猫)がいれば成り立つ

② ボクがいることで奥さんの機嫌が悪くなる。

 

50歳という年齢を目前にして、正直

「このまま人生が終わってしまうのか」

という焦りにも似た感情に襲われることがある。

反面、

「一人の人と死ぬまで添い遂げたい」

という思いもある。

 

何度も言うが、ボクは別に不倫をしたいわけでもなく、別の人を探したいわけでもない。

ボクの願いはただ1つ

奥さんと仲良くしたい

という思い…。

 

だけど、どんなにがんばってもそれはなかなか叶わない。

この半年間、それなりにがんばってきたつもりである。

でも、事態は悪化しているように感じる。

 

もう一度愛する人に愛されたい

 

死ぬまでにもう一度…

 

結婚するときに誓ったあの言葉

「死が二人を分かつまで…」

できれば一緒にいたい。でも…。辛い、寂しい。

 

その寂しさにボクは負けてしまうかもしれない…。

 

こんなもの

いつも愚痴ばかりのブログで申し訳ない…

と言ってももともとこのブログは誰かに見てもらうためのものではないのでその辺はご了承いただけるとありがたいです。

 

人は他人の人生をすべて把握することはできない。

自分が「幸せなのか」「不幸なのか」は誰が決めるものでもなく、自分が決めるものである。

 

結婚生活…というものを考えたとき、それが幸せかどうかを判断することはとても難しい。

今の自分自身の状況はとても不幸に感じるけれど、それだって他の人と比べればまだましなのかもしれない。

モラハラ」のブログを検索したら、自分が置かれているどころの話ではなかった。

それこそ「まだまし」といえる。

だけど、反面幸せそうに見える夫婦もたくさんいる。

二人で買い物に行ったり、散歩をしたり、映画を見に行っている夫婦を見ると、とてもうらやましく思える。

 

一般的に、時間がたつと恋愛感情は薄れ、心理学的には3~4年でなくなるそうである。

それでも結婚して10年、20年以上たっても仲のよい夫婦というのは、恋愛感情ではない「絆」があるからであろう。

もちろん、けんかをすることもあるだろうし、口の聞かないような日もあるはずである。

それでも関係を修復できるのは「未来」があるからだろう。

 

「この人とずっと一緒にいるのだ」

 

と思えるからこそ、けんかをしても仲直りをしようと努力するのである。

もちろんボクたちもそうしてきた。

だが、今の彼女を見ていると、とてもそうは思えない。

 

この半年間、ボクは自分なりに彼女との関係を改善するために努力をしてきた。

でも関係はまったく改善していない。

 

きっと彼女はボクが努力していることすら気づいていない。

 

のであろう。そう思うと何だか空しくなってくる。

 

夫婦ってこんなものなのだろうか?

 

批判を覚悟で本音を言えば、

そこそこの年収を獲得し、この26年間浮気は一度もなく、酒もたばこもギャンブルもしない。

誕生日とクリスマスとホワイトデーには欠かさず花やプレゼントを贈ってきたし、手紙で感謝の気持ちを表してもいる。

彼女が望むことは基本拒否せずに、受け入れてきたし、彼女の希望を尊重してきた。

 

もちろん、自分が完璧な夫だとは全く思っていない。

仕事で家を空けるときもかなり多いし、彼女が髪を切っても気づけないような鈍感さ。

優柔不断で自分の気持ちをはっきり表せないことも多いし、きっと見ていてイライラすることも多いのだろう。

むしろダメな夫なのかもしれない。

 

でも、自分なりにがんばっているはずなんだけどなぁ…

結婚ってこんなものなのかな…

夫婦ってこんなものなのかな…

分からない。

 

5年後…

50年近くも生きているといろいろなことがある。

「いいこと」と「辛いこと」の数を数えたら「辛いこと」の方が多かったような気もするが、「辛いこと」が多ければ多いほど、「辛いこと」が辛ければ辛いほど、

幸せは大きくなる

そう学んできた。

 

生きてきた中で「死にたい」と思うような辛い状況も何回かあった。

(今もそれに近いけれど…)

それでも何とか乗り越えてきた。

「今が今まで生きてきた中で最も幸せ」

そう言える人はこの世の中で一体どれくらいいるのだろう。

かつてボクにもそういう瞬間があった。

しばらくたちそうでなくなったときも

「いつかまたあのときよりも幸せになってやる」

いつもそう思って生きてきた。

 

しかし50歳が近くなり、人生も折り返してくると

今までの人生とこれからの人生を比較するようになる。

 

およそ無限とも思われるような長い時間を過ごす幼少期そして少年期…。

そして苦しいながらも楽しいことも増えてきた青年期。

結婚して父になって仕事に追われるようになってきた中年期。

 

そしてこれから同じような長さの時間を過ごすとしても、

同じような幸せを感じられるか…いや、同じなんて贅沢は言わない。

1/2でも1/3でもいい。いや、ほんの少しでも、一瞬でもいい。

心の底から「幸せだ」

と言える瞬間が訪れるのだろうか…。

 

町ですれ違う同年代やさらに上の世代を見ていると

「あなたたちは日々幸せを感じていますか?」

と聞いてみたくなる。

 

人はなぜ生きているのだろうか

 

そしてなぜ生き続けなければいけないのだろうか

 

今はまだこれから先幸せを感じられる瞬間に出会える気がしない…。

 

怖い…

1週間が早い…

この1週間はとても早く過ぎたように感じる。

その間特に何かあったわけではない。

しかし、家族旅行は決してその後の生活を明るくしてくれることはなかった。

 

奥さんもモラハラのような言動はないが、かといって優しく接しくれるわけでもない。

ほかの家族に対してはとてもやさしいのに…である。

 

あの一件以来、奥さんが怖くて仕方がない。

何か言われるたびに、足音が聞こえるたびに、「何か言われるのはないか」怖くてビクビクしている。

帰宅恐怖症ではあるが、何とか家には帰っている。

職場にいたいわけではない。

結局ボクの行く場所はどこにもないのだ。

 

別に愚痴や泣き言を言いたいわけではない。

ただひたすら「怖い」のである。

とにかく「怖い」のである。