小林真央さんがお亡くなりになりました。
ステージ4という状況から、完治は不可能という空気の中そのときは訪れてしまいました。
特に好きでもなく、どちらかというとどうでもよい存在であったのですが、一連の乳ガン~ブログの流れを受け、なぜかとても興味・関心がありました。
実は今から7年間、ボクは友だちを同じ乳ガンで失っています。
大学時代の4年間、本当によい友達でした。
理系でしたので、女子はすごく少ない中、ともに実験・レポート作成などをこなし、長期休業中には全国の友だちの家を泊まり歩きながら楽しい思い出を作っていきました。
ボクに彼女ができたときも、その彼女に振られたときも、たくさん話を聞いてくれました。夜、突然家にやってきて「今からドライブ行こう!」と言われ、横浜から髙山まで夜通し話をしたこともありました。
大学を卒業してからは、会うこともめっきり少なくなりましたが、結婚式で久しぶりに会い、幸せそうな彼女を見たときはとてもうれしかったです。
そんな彼女が結婚・出産して幸せな生活を送り始めてから数年後、ボクの元に「訃報」が届きました。あまりに突然のことで言葉を失いました。
通夜に参列したとき、その会場で無邪気にはしゃぎ回る子どもたちを見て、涙がこぼれました。
そんな経験を通して、ボクは今回の小林真央さんのことを単なる芸能ニュースのように感じられなくなっていました。
人には必ず「生まれてきた意味」がある。
ボクはそう思って生きてきました。
ボクの生まれてきた意味はまだ分かりませんが、きっと死を迎えるときには分かるのかもしれません。
ボクの友だちも、小林真央さんもきっと生まれてきた意味があるのでしょう。
彼女は「病気であることを『かわいそう』とは思わないでほしい」と言っていました。
だからボクは「かわいそう」とは思いません。
「愛している」と言ってこの世を去っていくことはもしかしたら人としてすごく幸せなことなのかもしれないと思うからです。
今もしボクが死ぬとしたら、「愛している」と言って死ねるかな…
こっちは自信があるけれど…
「愛している」と言って旅立ってもらえるかな…自信ないな(;^_^A