10連休の悪夢

 気が付くとまた8か月が経っている…

 本当に月日の経つのは早い(-_-;)

 いつの間にか世間では「平成」から「令和」と時代が変化している。

 誰もが思うだろうが

 令和の時代がボクにとってもよい時代となりますように…

 

 世間は10連休の真っ最中…みんなどんな風に過ごしているのだろうか?

 あるアンケートでは「10連休が楽しみですか?」という問いに半数近くが「楽しみではない」と答えていたが、ボクにとってはまさに「魔の10連休」であった。

 何せ「家にいたくない」のだから…

 とはいえさすがに10連休なのに毎日職場に行くわけにも行かない。

 今日で6日間が終わるが、半分は家にいる。本当に気が休まらない。

 何より緊張するのが「夕食」だ。これは避けられない。

 6人がテーブルを囲んで夕食を食べるのだが、この緊張感は半端ない。

 

 自分でも不思議だが、とにかくお義父さんとお義母さんがいると「緊張してコメントができない」のだ。一緒に暮らすようになってすでに13年が経過しているにも関わらず…だ。決して間違えてほしくないのだが、お義父さんもお義母さんも決して世間でいうような「意地の悪い義理の両親」ではない。むしろ同居し始めはとても気を使ってくれていた。悪いのはボクだ。どうしてもこの「同居」にはなじめなかった。

 

 やがて二人ともあきらめたのかボクのことを避け始めた。まあ、当たり前だね。

今では(この連休も含め)「何かお手伝いすることはありませんか」と気を使っても、二人とも「とくにない」との回答。要するに

「お前に頼むことは何もない」

ということなのだ。

 

 昔読んだ本に「好きの反対は嫌いではなく、無視」と書いてあって「なるほど」と思ったことがあるが、何の文句も言われず「無視」され続けれるのは確かに堪える。

 精神的なダメージがとても大きい。うまい戦法である。

 おまけに奥さんは(当然だが)両親の味方であり、ボクの味方はしてくれない。

「お前が歩み寄らないのが悪いのだ」と言わんばかり…だ。それもまた更なり。

 

 でもね…。やっぱり「同居」は辛い。

 昨日久しぶりに家族4人で映画に行った。

 俺を嫌っているであろう息子と高校生になったばかりのもっとも親父を避けるであろう娘は本当にいい子に育っていて、久しぶりの家族の楽しいひと時を過ごさせてくれた。格好悪いが「泣いた」

 

 さすがに、「同居がなければもっと家族として楽しく過ごせていた」ということはないが、それでも「もしかしたら…」と思ってしまう自分がいる。

 

 とにかく一番声を大にして言いたいのは

 この家にいるだけでもボクはとてもがんばっているのだ

ということだ。この家で息をしているだけでもボクにとっては苦痛なのだ。

 それを誰も分かってもらえない…。誰かに分かってもらいたい。

 

 さて、きっといずれこの家族は破たんを迎えるであろう…

 最近思うのは

 こんなに嫌な思いをしているのに家族を養っているのはなぜだろう?

 ということだ。今のボクにこの答えとして言えるのはたった一つ

 「責任」

 である。家族でいることを「楽しい」とか「幸せ」と感じることはほとんどない。

ひたすら「責任」があるのみ…である。いやあと一つあるとすれば

 奥さんが好き

という感情である。この状況でもこれは変わらない。なぜだろう?

これはもう個性というしかない。人を好きになるという感情は本当に不思議なものである。

 

 はぁ…。こうやって文章にしていることで少し落ち着いてきた。

 正直言うと今日は「死にたい」とさえ思っていたので…。

 まあ、「思う」ことと「実行する」のは大きな隔たりがあるのは誰もが知っていることではあるが、果たして「生きる意味」ってあるのだろうか…とはずっと思っている。

 あと1年半で50歳になるボクは、すでに人生の「楽しいこと」を十分に経験してきた。もう思い残すことはないのだ。なのに「生きる意味」ってあるのだろうか?

 

 いくつになっても「夢」を追いかけている人ってかっこいい

ボクもそう思うのだが、現実はそう言える人は少ないと思う。

ボクが夢を持ったのは26歳の時だが、それまでには相当の苦労があった。

次にどんな夢を持てるのか…年齢的なものも加味してちょっと自信がない。

 できれば安らかに眠り続けたい…それってやっぱり自分勝手ですか?